私ごとですが、入院、手術の初体験
長年だまし続けていたが、ついに腰椎手術の決断

私ごとの記事で恐縮ですが、
2020年12月24日に椎間板ヘルニヤ、脊椎狭窄症、椎体滑り症の
手術を京都市立病院で受けました。
ここに至る私の歩行能力の悪化の自覚症状は、
既に20年以上も前から歩行時に現れる大腿部、下腿部の不快なしびれ感でした。
それでもハイキングに行ったり、毎日の散歩を心がけてだましだまし
「我が寿命よ、腰の手術の前に、終われ」という考えでした。
しかし、12月のはじめにちょっと腰を捻ったな、という時をきっかけに
右下肢に支持力が入らなくなり、右膝が崩れて膝を着きそうになり、
杖なしには街路の歩行が危険になってきました。
長岡京市内の開業医を受診し、そこではMRIが撮れないので、同じく
長岡京にある新河端病院を紹介されMRI受診したが、新河端病院では
脊柱手術は行っていないので、京都市立病院を紹介された。
同病院を受診し、担当医の話を聞き、私は1日でも早く、
正月までに手術してほしい
と、自身の「決意」を医師に伝えました。
あれほど手術から逃げていた自分としては、人が変わったみたいと
家族に驚かれました。
この時、自分は、ひょっとすると残る生涯は車椅子を
必要とするかもという現実的な恐れを感じていました。

私ごとの記事で恐縮ですが、
2020年12月24日に椎間板ヘルニヤ、脊椎狭窄症、椎体滑り症の
手術を京都市立病院で受けました。
ここに至る私の歩行能力の悪化の自覚症状は、
既に20年以上も前から歩行時に現れる大腿部、下腿部の不快なしびれ感でした。
それでもハイキングに行ったり、毎日の散歩を心がけてだましだまし
「我が寿命よ、腰の手術の前に、終われ」という考えでした。
しかし、12月のはじめにちょっと腰を捻ったな、という時をきっかけに
右下肢に支持力が入らなくなり、右膝が崩れて膝を着きそうになり、
杖なしには街路の歩行が危険になってきました。
長岡京市内の開業医を受診し、そこではMRIが撮れないので、同じく
長岡京にある新河端病院を紹介されMRI受診したが、新河端病院では
脊柱手術は行っていないので、京都市立病院を紹介された。
同病院を受診し、担当医の話を聞き、私は1日でも早く、
正月までに手術してほしい
と、自身の「決意」を医師に伝えました。
あれほど手術から逃げていた自分としては、人が変わったみたいと
家族に驚かれました。
この時、自分は、ひょっとすると残る生涯は車椅子を
必要とするかもという現実的な恐れを感じていました。